未定

心動かされたら現れます。世の中には好きと嫌いとどうでもいいものしかありません。私は、好きしか書きません。

献身

「人を愛することを知らないまま生きていたら

罪を犯すこともなかったのかもしれない。

あいつは、それほどまで深く

人を愛することができたんだ。」

 

私の好きな邦画の印象的なワンシーン。

"何かを深く愛することができる"

という人間が幸せだと理解こそすれ、

その幸せは、

愛する対象を持った本人だけが知り得る物であり

絶対的に、他者が測り得るものではない、

というのは心に留めておきたいと常々思う。

 

幸せは、自分の中で大切に育てるのだ。

他者にその判断を委ねるなんて、

幸せというのはそんな瑣末で乱暴な扱いをしていいものじゃあない、なんて考えてしまいます。

定義

愛に質量はあるのか?

アイドルがファンに伝える「愛している」と生涯のパートナーに伝える「愛している」と言う言葉には差があるのか?

ペットに抱く「愛おしさ」と我が子に抱く「愛おしさ」には差があるのか?

「愛すること」という定義を持たずに終える人生と

これが「愛すること」だと確信を持って終える人生には優劣があるのか?

だとしたら、私は今家庭を持っている人間たちより劣っているのか?

私は今後一生「愛」に対して猜疑心を持ち続ける人生を耐え抜くことができるのか?

それとも「愛」の定義に出会えるのか?

それとももう出会っているのか。

こんなことばかり考えてしまう自分自身の感性を第一に愛してしまっているのかもしれない。

そんな私は今日も哲学書に答えを探している。

過去今未来

エンタメの未来

「今」この瞬間は「過去」の瞬間の積み重ね

だから「今」までの中に「過去」はある

「未来」はどうだろう?

「今」までの中にもちろん「未来」は入っていない

「未来」は「今」を積み重ねて作るものだからだ

「今」見えていないものは大事に扱うのが難しい

大事に扱わないと壊れてしまうというのに。

" エンターテイメント "

「今」見えていない「未来」を創り上げること

真っ先に制限されたのは「今」には不要だから

でも「未来」に進むためにきっと必要だと私は知っている

だから「今」希望と信念と覚悟を持って

あなたと「未来」の約束をする。

エンタメの "未来 "

エンタメが「未来」。

2022

年が明けた。

毎年同じことの繰り返しだ。

でも同じじゃないものもある。

誰かは命を終わらせ、誰かは命を生み出す。

私は命をただ続ける選択をする。

希死念慮が常に隣に纏わりつくようなこの地獄に居ながら

少しでもその地獄を楽しもうと思える人間になってきた。

2021年はそんな変化があった1年。

自分を大切にすること、周りを大切にすること。

半端な自己愛なんかじゃない。

自分の中に存在する何人もの自分と

一人ずつ目を合わせて

時間をかけて話をして

理解できるように努力して

自分の弱さも苦しさも愛して

どうこうしない、ジャッジもしない、刺激もしない。

ただそこにそれがあると、

それを持っているのが自分であると、認める。

本当の意味で諦め、そして進みたい。

『僕らずっと独りだと 諦め進もう』

大丈夫!2022年も一緒に生きていこう。

後ろ髪を切る

最近、ぷつぷつと1本ずつ切れていく感覚がある。

ここに留まる理由

ここにいて楽しいという感覚

ここが生き甲斐という誇り

そういうものが一つ一つ、外側から薄く薄く削られていって

どんどん自分が薄っぺらくなっていって

存在が感じられなくなっていって

終わる。

何が残るんだろう。

自分は何を残したいんだろう?

" CRASH "

現在絶賛脳内思考停止中。
大学時代から使い続けているPCも
今の私の脳内に近いレベルの処理速度まで落ちてます。

辛いですね、色々と。何も考えたくないです。
超絶イヤイヤ期、突入しました。

色々あって未来を考えるのが嫌なので、この一年を振り返ります。

新しい肩書をもらい、お店の周年ということもあり
鼻息荒く、これからの自分の活躍を夢想していた一年前。

周年イベントの日程を押さえたり
候補のアーティストの組み合わせを考えたり
人脈の拡げ方を模索したり

かなり前のめりになってました。

一年後、蓋を開ければこの有様。

活躍どころか、なにもできてないです。

それでも初心者並みには
アクセルとブレーキの使い方を意識してみたり、
捕まらない程度にスピード出してみたり、
ちょっと遠めの目的地を設定してみたりしました。

そしたらいつの間にか、" 運転できる気 "になってました。

結果、ちょっとエンストしただけで
走れなくなってしまっている自分がいます。

どうせ走ってもなぁ、とか
別に止まっててもいいやん、みたいな気持ち。

弱いなぁ。そんな自分にもがっかりしてるんだろうな。

自分が止まっていても、周りには道が作られ続けるし
走り続ける人には追い越される。
この一年で思い知らされました。

歯車が噛み合っている間は狂ったように進めるけど
一旦外れると完全停止人間。

今は全部の歯車が外れちゃって大変です。

一番見たかったバンドのライブなくなるし
年に一度のお祭りイベントには行けないこと確定してるし
やらなきゃいけないのに思考停止してて進まないし…。

まあ、どっかの歯車が一個組み合わされば
また狂ったように進み始めるんだろうな。

未来の私に託して、今は暫し休憩とします。

未来のこれ読んでる私、がんばれよー!

" jive turkey"

今、ものすごく清々しい気持ちで書いています


つまり、幸せなのです


音楽に支配される人生って、なんて贅沢で、格好良くて、難しくて


なんて最高なんだろう。久々の感覚です。


-2020年。1年という長い時間をかけて、ゆっくりとぼやけていった私の中の「音楽」というものの輪郭と


誰かが言い出した『音楽を止めるな』という言葉から始まってしまった心の腐敗


音を止めまいと立ち向かったその先に何がある?


壮絶なバッシング、負債、疎外


希望を見出して、潰されて、その繰り返し


誰かの心を動かすものだったはずの音楽が


誰を傷つける道具として使われる現実


その景色に私の心が耐えられなかったから


これ以上何も感じとることがないように、感性に蓋をし続けた1年。


気づいたら、何を観ても、何を聴いても、何をしても、『感動』できない人間になってました。


もう巻き戻せない。無理だとわかっていても、できることならこの1年を無かったことにしたい、できないなら早く終わって欲しい…。


そんなことばかり考えていた私をみかねた

2020年最後、神様からのプレゼントが


the HIATUS jive turkey tour vol.5 ー

at Blue Note Tokyo


そんな風に考えてみたらなんだか素敵だな、とか言ってみる…。


だって、細美さんと一葉さんが言ってたんですよね。


ここにいる人たちって、ライブってのが人生の重要度の高いところにあるってことだよね、って。


かっこいいよ、って。


そう、いつの間にか忘れてたけど、本当にその通りで。


この言葉たちと、それを受けとった会場全員の一際大きい拍手が、私の視界をずっと覆い続けていた霧を一瞬にして消してくれました。


きっと私は、私を肯定されたかったんだな。


再興のための企画を何度も立ち上げたのに実現できなかったことも


周りが手を組んで進めているプロジェクトを

ただ外から眺めるしかなかったことも


自分を信じられなくなったことも


腐ったと思っていた感性も


無駄だと思っていたこの1年も


全部、全部。


2020年に気づけてよかったー!


今日、あの空間にいることを選んだ自分を


思いっきり肯定したい。


「今のお前、何にも間違ってねぇよ!」って。


そして次は、私と同じようにどこかで腐りかけている誰かを肯定したい。


あなたの好きも嫌いも、今持っている感情も

全部意味があるよ


だから大丈夫!って。


ライブってそれができる場所だったの、忘れてたな。


ぼやけていた輪郭が、ぼやける前よりはっきりとした形を持って


今、私の目の前に転がっています。


気づかせてくれてありがとう。


2021年、早くもいい1年にできそうな予感がしています。


よいお年を!