未定

心動かされたら現れます。世の中には好きと嫌いとどうでもいいものしかありません。私は、好きしか書きません。

“MULTI SPIN”

自分が辛いとき、壁にぶち当たっているとき。

「なんで自分だけがこんなに苦しい思いをしなきゃいけないんだ」

「今こんな苦しい思いをしているのは何のせいなんだ」

” 誰のせいなんだ “

コロナ禍という真っ暗闇に突然放り出されて

方向もわからず、光も見えないまま

ずっとそんな風に、自分ではない何かを責め続けた時期があった。

「私は何も悪くないのに」

何かのせいにしていないと、じゃあこの悪は誰のもの?と自分に向けて言われている気がしてならなかった。

心の中で周りを責め続けた。

だが何も変わらなかった。

そんな時期に聴いたのが「CULTURE」。

自分以外の”何か”を敵にして闘っていたあのとき、

結局必要なのは自分との闘いだったということに気づかされた。

自分が辛いとき、壁にぶち当たっているとき。

そんな時こそ自分と闘え。強くなれ。優しくなれ。格好良くあれ。

“ 未来を変えるのはお前自身だろ。“

梅田CLUB QUATTRO、お疲れ様でした。

”CULTURE”

日付変わって2020年9月9日、水曜日。

 

私が敬愛してやまないアーティストの1st メジャーフルアルバムがリリースされました。

 

climbgrow、めでたい!

 

もう、本当に好き。ずっと聴いてます。

たぶん聴かない日ないんじゃないか、ってくらいのレベル。

 

climbgrowの紹介は省略、聴け。というメンタルです。

 

記憶をさかのぼれば、climbgrowのことを知ったのはそんなに前ではなくて

ちょうど1年前。

 

見知らぬ人のリツイートやいいねが回ってくるあの機能が、唯一役に立った瞬間。

 

普通にライブができていた当時(当たり前だけど)、タイムラインにふと流れてきた、スマートフォンで撮影されたお世辞にも映像も音質も上等とは言えないライブの動画で一目ぼれでした。

 

今でもあの血が沸いた感覚を憶えてるくらいに、強烈な一目ぼれ。

 

その翌日には今、手に入る限りの音源をすべて買いに走り、廃盤となった「EL-CAMINO」もなんとか知り合いから借りることに成功(借りパク中!)。

 

驚いたのが”個人的捨て曲”(これが流れてきたらスキップしちゃう的な曲)が一曲もないということ。

 

これはELLEGARDEN以来の出来事で、ここで私は確信。

この出会いは本物だわ、と。

 

そんなこんなで当然ライブが見たいとなるわけですが、最高なタイミングで「THIS IS」ツアー金沢編が決まり、10月23日に初ライブ。うれしすぎて日付も憶えてる…。

たしかclimbgrowが決まったって聞いたとき発狂したな…。

 

そのあと純粋に観客としてみたい気持ちが抑えられず、名古屋編に参加。

(正直金沢のほうが盛り上がってた、と個人的には感じたので心の中ではガッツポーズでした。笑)

 

私がclimbgrowを大大大応援していることはもう書こうと思えばどれだけでも書けるんだけど、そんなことより今日手元にきた「CULTURE」のことが書きたい!

 

もう4回くらいはアルバム通して聴いたのですが

私が抱いた感想は

 

あぁ、挑戦者としてしっかり前見据えて踏ん張って進んでいく覚悟を表した一枚なんだな。

 

ということ。※超個人的見解

メジャーデビューというのはよくも悪くも、アーティストの活動において、とても大きな壁になり得ます。

インディーズで培ってきたものがすべて引き継がれたまま大きくなれるか、というと絶対ではない。

メジャーデビューと聞いて離れていくリスナーもいれば、その話題性に引き寄せられる新しいファン層が出てきたりする。

インディーズでは自由にできていたことが、メジャーになると雁字搦めで表現の自由さを失うこともある。

たぶん、もっともっとたくさんの向かい風に晒されながら、アーティストとその周りのスタッフは頑張っているんだと思います。

 

だからこそ、”この一枚”は自信を持って出せるものじゃなければいけない。

 

そんな状況をしっかり自分の中に落とし込んで、

 

「それでも俺らは立ち向かっていくから見ててよ」

 

と言われたような気がしました。

ほんと強いなぁ、climbgrow。

 

今日ランニングしながら聴いていて感じたことが一つ。

私にとってバンドは、

 

迷ったとき、前に立って道を拓いてくれる

振り返ったとき、後ろに立って背中を押してくれる

立ち止まったとき、一緒に横に立ってまっすぐ前を向いてくれる

 

なんとなくわかれています。

ELLEGARDENは後ろから背中を押してくれる。

climbgrowは、横に立っていてくれる存在。

 

何かに不安になって立ち止まってしまったとき、climbgrowの曲を聴くと

 

俺らが横にいるから、一緒に進むから、”絶対に”大丈夫だから進め。

 

そんな風に絶対的な信頼感を持って、私の足を進めてくれるんですよね。

これだけのパワーを楽曲に詰め込むことができる、すごいことです。

 

絶対に目を離したくない。

一対一で彼らの100%を受け取りたい。

 

そう思わせてくれるclimbgrow、これからもっとすごい曲いっぱい作るんだろうな。

心強いことに期待しか、ありません。

 

またいつか、灼熱のライブハウスで見れることを願って。

 

”着地点はここ、ライブハウスにある。”

見る 観る 視る

135日間更新していなかったみたい。

 

コロナのせいか自分のせいか、書き連ねるような刺激的なことも無い日々です。

 

最近一番の楽しみになっているのは『MIU404』が放送される金曜日。

野木さんの世界の捉え方、言葉選び、全てを含めて脚本が好き。素敵なドラマです。

 

今日は一日オフだったので

 

洗濯物もせず

掃除もせず

 

寝てました。

(こういうのがよくない気はしている)

 

暇な一日。

 

風呂に入って、一時間くらい湯船に浸かって、いつもはできない時間の使い方をする。

コロナが出てきてから手に入れた新しいオフの過ごし方かな。

 

で、ふらーっと近所の自販機でジュースを買って帰宅する。

 

 

でも今日はなんとなく、コンタクトも眼鏡もせず裸眼で出かけてみました。

 

私はとても視力が低いので、普段は裸眼での生活なんて考えられません。

 

案の定、外に出てみると何にもわからない。

 

何十回も見てきた曲がり角がどんなだったか

 

ここはアパートか、それとも一軒家か

 

そこに立っているのは人か、置物か

 

みえているのにわからない。

 

なんだか怖くなって、iPhoneのカメラをわからない方向に向けると

 

見えました。

 

その時に、「あ、帰ったらこのこと書こう」って思った。

 

ひとは “わからない“ ことに恐怖心、もしくは好奇心を憶えると思います。

 

そして、『これは何であるか』という答えを急く。

 

だから、誰かが『これは、〇〇だ!』って言ったら安心するし

 

それを自分の眼で観ようとすることをやめてしまう。

 

私はそのことに、疑問を感じずにはいられないのです。

 

画面を通した景色に、慣れすぎていませんか。

自分自身の目で見て、感じとろうとすることをやめていませんか。

あなたは今、何をみていますか。

 

自分が本当は見ていた景色に気づいたとしても、そこから逃げないように

感性を、鋭く

生きていきたいなあ

 

と思った夜でした。

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また明日。

2020/04/08

今日も一つ、蓋を閉じた気がする。

 

毎日毎日、本当に絶え間なくこれでもかというぐらいに、嬉しくないニュースが目に入ってきますね。ここには書きたくないようなものばかりです。

 

ここは私の好きなものだけを書くつもりが、自分の中でいろんな感情が事故を起こしそうだったので少しだけ交通整備してみることにしました。

 

交通整備が完了して新しい道ができたら、この記事は消えてるかもしれないし、過去の自分の記録として残しているかもしれないです。わかりません。

 

これを書いている最中にも、ウイルスの魔の手は拡がり続けているのでしょうか。

 

私は最近、ウイルスよりも人間の醜さの方が遥かに有害じゃないか、と思えて仕方がありません。感染者を特定し誹謗中傷、被害者間でのマウント取り、年齢で人を差別する若者や高齢者、思想の違いで人を人と思えなくなる人、職業差別、買い占め、そして、無関心。

 

自分で書いておきながら、悲しくなってきて今泣いてます。

 

たった少しの想像力があれば、気づくことができるはずなのに。
相手への思いやりがあれば、もう少し寄り添えるはずなのに。

 

心が疲弊しています。
だから、自分の心を守るために感性に蓋をし続けてる。


これが続けば、いつか人は何にも感動できなくなってしまいます。
生きていてもつまらない。
なにをしてもつまらない。
楽しそうにしている人が許せない。


その乏しくなった心を救ってきたのが、ありとあらゆる娯楽です。


でも、ひとは喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう生き物だから、今まで知らず知らずのうちに自分を元気づけてくれた娯楽を、今は必要ないものとして平気で切り捨ててしまえる。


そこには今、ある日の自分がいるとも知らずに。


でも、この言葉たちが本当の意味で届くひとは、もう自分の人生にカルチャーが根付いているひとたちだと思うし、既に物事を広い視野で捉えてると思う。


でも、今の時代、それでも足りないところまで来ているかもしれません。

だから、いっぱいひとと喋ろう。
好きも嫌いも、共有しよう。
なんとかして、その人の心に豊かさを取り戻してあげよう。


それが、思いやり、愛です。

それが溢れる場所が、ライブハウスという場所です。

 

最後の一文、テストに出るから覚えておくよーに!

追記:「星野源はやはり面白いことを見つける天才だ」これもテストに出ます。

“そして生活は続く”

久々に何もない時間がやってきた。幸せだ。

 

何をしよう。もう頭の中では決まっていたので車を動かす。

 

その場で好きな本を買ってコーヒーを飲みながら読むことができる某カフェへ。

 

最近のお気に入りの本は星野源のエッセイ集だ。今回が2冊目。

 

いつだったか忘れたけれど、ひとつ前のオフの日もこうやって過ごしていた気がする。

 

幸せだなぁ。

 

職場の色とは少しイメージが違うかもしれないが「今日の自分は誰の曲を聴きたい気分なのかわからない」と感じるときに必ず選ぶ曲は

 

星野源の”湯気”だったりする。

 

毎週欠かさず聴いているラジオも

 

星野源オールナイトニッポン”だったりする。

 

自分でも気づかないうちにすっかり星野源にハマっていたことに驚く。

 

源さん、いつも楽しい放送をありがとう。ラジオ大好きです。

 

一人の時しか聞けないけどね。

 

星野源の何が好きでこんなに、という疑問はエッセイ集「よみがえる変態」の1ページ目を読んですぐに気づくことになる。

 

ユーモアあふれる文章力、そして庶民力(いい意味の)。

 

あとは、人を不快にさせない表現力。

 

※あくまで私調べ(2020年現在)です。

 

いいなぁ、うらやましいなぁ、と思ってついつい聴いてしまうし読んでしまう。

 

今日も「そして生活は続く」を読んでいて、なんだか文章を書きたい気持ちになってしまった。

 

家に帰ってまずPCを広げるスペースの確保のために机に置き去りにされた服やら薬やら書類やらを一気にザザァーっと除ける。

 

そしたら、年金手帳が出てきてびっくりした。

 

ブログを書くためのPC…ああ、今月引っ越すために新居に持って行ったんだった…。

 

仕方なく、中学時代からお世話になっているPCを引っ張り出すことにした。

 

こんな普通の生活も、星野源の手にかかれば読者をクスっと笑わせられるような表現で

面白い出来事になるのだから、すごい。

 

ひたすらにうらやましい。

 

最近の自分はというと、楽しくないことをただ『楽しくない』こととして受け入れて

 

なんて自分は不幸なんだ、かわいそうだ、とか思っていたりする。

 

エンターテインメントを提供する側の立場として、最悪じゃないか。

 

感情は自分の捉え方次第でどうにでもなったりする。

 

それは本当に楽しくないことなのか、楽しくする方法はないのか、その方法を自分は考えているか。

 

その答えを教えてくれるのは、やっぱり最高のエンターテイナーたちだ。

 

心から尊敬する。

 

こんなときだからこそ、楽しいと思えるをやろう。

 

それはみんなの娯楽であり、私の仕事。

 

大事なことなのに一番忘れがち。

 

思い出させてくれてありがとう、源さん!

 

さて、続きを読もうかな。次はどんな下ネタが飛び出てくるのだろうか。

 

たのしみだなぁ。

”mother"

"20.03.01

 

昨日見たライブ、ラフな感じがとても心地よくて

 

 

今書いているこの文章も、久々に肩の力を抜きながら

 

 

書きたいことがかけそうな予感がしています。

 

 

「mother」

 

 

2019年結成のバンド、詳細はどこかに載ってる。

 

 

最近はなんとなく、ものすごく大雑把にいうと

 

 

”ボーカリスト” がいる音楽に物凄く惹かれます。

 

 

人によって色々な定義がある言葉だと思いますが、私の中では

 

 

伝える力、惹きつける力、見抜く力(最後だけ表現がハマらない…)が圧倒的に長けている人

 

 

だから別に音感が無くてもボーカリストにはなれるのでは、と思ったりしています。

 

 

motherのそれは、それでした。(語彙が…)

 

 

私が後になって「これ、好きなのでは…?」と感じるバンドのライブは

 

 

耳を澄まさずともすべての音が感じられたり

 

 

意識せずとも照明や景色が目に焼き付いていたり

 

 

いつのまにか音楽のほかに今あるもの全て、この瞬間の為の演出なんじゃないか

 

 

って思わせられる、しかもそれをとても鮮明に覚えている

 

 

ということが経験上多いです。

 

 

今回のmotherのそれも、それでした。(2回目)

 

 

音源がないので私の乏しい記憶を辿るしかないのが悔やまれますが

 

 

一つだけ

 

 

MC明けの2曲目

 

 

「『愛し合っていこうぜ』という曲です」(正確さ✖)

 

 

って言葉から始まって

 

 

”夕日を見ながら涙する心は死なない”(正確さ✖)

 

 

の歌詞が耳通り越してぐわん、と来ました。

 

 

そのときの生色と赤の逆光も忘れられない…。

 

 

これからmotherのライブ見る機会がある人は

 

 

頭じゃなくて体で楽しんでみたら、いつもと違った感情が生まれてくるかもしれません。

 

 

もし生まれてきた感情があったら、大事にしてほしい。

 

 

motherもきっとそれを大事にしてる気がします。

 

 

またライブみたいなぁ。

mitei

暫く自分の感じたことを文字に起こすことを避けていました。

 

 

ただ、昨日見たライブがとても素敵で

 

 

また書きたいな、と思いました。

 

 

不定期で心動かされたものに出会えたらここに現れます。

 

 

前のブログの文章とかも載せる機会があれば…。

 

 

良い悪いではなく、好き嫌いの価値観で話します。

 

 

あなたの好きを私が嫌いでも、あなたの嫌いを私が好きでも

 

 

赦せるようになれますように。